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人物像について
伊達政宗の人物像についてその2
いよいよ明日からドラマに登場する伊達政宗(松田龍平)の人物像の2回目今日は生い立ちです。
政宗は父・輝宗と最上の義姫との間に長男として米沢に生まれます。幼い頃に疱瘡を患い、生死の境を彷徨います。どうにか一命はとりとめたのですが、右目を失います。
一説にはこの時、母・義姫が実家の最上に里帰りしていたことが、後に母子の確執を呼んだという説もあるようです。
この右目を失ったことからか、幼少期の政宗少年(幼名は梵天丸)は引っ込み思案で人見知りする子だったようです。政宗の将来を案じた父輝宗は、臨済宗の高僧・虎哉宗乙(こさいそういつ)を招き、政宗の師として厳しく修行に当たらせます。
エピソード1へそまがりの教え
虎哉宗乙は政宗のほっぺをつねり「痛い時は痛うないと言え」などと政宗にへそまがりの極意を指導します。どこか雲洞庵の北高全祝に似ています。また将たる者、人前で寝姿を見せてはならないと説き、政宗は終生この教えを守り、臨終の際も座ったまま天国に旅立っていったようです。
また虎哉宗乙は、政宗が自信過剰からか家臣の忠告に耳をかさなくなった際、手をパンと叩いて「今音が出たのはどちらの手だ?」と問うたそうです。
これは「孤掌は鳴り難し」という有名なお釈迦様の教えなのでが、(この場合、一人で戦はできないんだよ〜んということ)その意味を悟った政宗は、優秀な家臣に恵まれたこともあるのですが、名君への道を歩むことになるのです。大沢親分がいたら「あっぱれ!」あげてたことでしょう。
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