新潟はとても今日は寒いです。昨日は11月だというのに夏日を記録した所もあった程暖かったので、余計に寒く感じます。という訳で本日は徳川秀忠の人物像についてその2です(別に留守録失敗した訳ではありません)。
小国真田に手こずり、関ヶ原の戦いに間に合わないという失態から、とかく武将として軍事面での無能ぶりを指摘される秀忠ですが、驚いたことに関ヶ原の戦いが秀忠の初陣でした。
初陣を武勇で飾れなかったばかりか、20分の1の真田に大敗し関ヶ原の戦いに遅参したことで、家康に激しく叱責されたばかりか、その後面会もして貰えなかったそうです。
そして名誉挽回のチャンスが大阪冬の陣です。この頃は将軍の座に就いていたのですが、何とか手柄を立てたいと焦ったのか、江戸から伏見まで17日間で到着するという強行軍を強いたため、家臣はヘロヘロでとても戦える状況ではなかったそうです。
再び家康の逆鱗に触れ、強制的に兵を休ませられました。それらを踏まえると、軍事面での無能という秀忠の評価は、当たらずと云えども遠からずの気がします。それだからこそ家康は天下獲りを焦ったという説もあります。
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ただ、戦人としては関ヶ原、大阪の陣を見る限りは「戦下手のおぼっちゃん」と言わざるを得ませんよね。戦乱が続く中で後を継いでいたら家を守るのが精一杯の器だったのではないか?と思えます。家康が築いた盤石なレールの上に乗り平時に後を継いだ故に難なく2代目となれたある意味幸運な人物のような気もします。
同じ2代目でも父の後を継いで専横を尽くし後に暗殺された源頼家や随の煬帝のように国を潰してしまった暗愚な2代目もいるくらいですから、それらの人物に比べればずっとしっかりしていたことも又事実でしょうけどね。
確かにおっしゃる通り、泰平の時代の礎を築いており、政治家としては及第点かもしれませんね。
このドラマでは家康が、必要以上に極悪非道に描かれているのに対して、秀忠はな〜んだいいヤツじゃん的なキャラなので、どこか救われるような気がします。
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