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人物像について

徳川秀忠の人物像についてその3


本日は前回の徳川秀忠の人物像についての続きです。前回は徳川秀忠が急がなければならない関ヶ原には間に合わないは、急がなくても良い大阪冬の陣では無理して兵をヘロヘロにしてしまうという大将の器に非ずというところまで書きました。

家康が政宗に秀忠のことを頼むシーンが描かれているマンガもありました。それ程家康は心配だったのでしょう。ひょっとしたら、秀頼を攻め滅ぼしたのは秀忠のためだったのかも知れないですね。

しかしそれでも家康が秀忠を後継者に指名したのは、秀忠が「守成の時代」の君主に相応しいと考えていたからだと言われています(守成は創業より難しという唐の時代の教え)。ともあれ軍事面での才は乏しかったものの、できて間もない江戸幕府の基盤を築いたのですから、家康の期待には充分応えたと言えるのではないでしょうか。守成の時代の君主として、私から「あっぱれ」あげます。(−−)/===卍イラネーヨ




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