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人物像について

徳川秀忠の人物像についてその4


本日も徳川秀忠(中川晃教)の人物像についてです。




家康が豊臣を滅ぼし、徳川の世になったのを確信し、安心したかのように家康が死去すると、名実共に秀忠の時代になります。

幕府の中枢を自らの側近で固めると、福島正則等の多くの外様大名を改易に処するなどの大名統制を強化していきます。そして弟達を巧みに外様大名の抑えとして、尾張・紀伊・水戸に配置し江戸幕府を強固にしていきます。その一方で弟の忠輝やこのブログでも書きました本多正純を改易にするなど身内にも厳しい面を示したようです。

また有名な「鎖国」につながる外国船寄港を長崎・平戸に限定しています。そして家康の死から7年後には将軍職を家光に譲り、父家康を倣い自ら大御所として二元政治を行います。


さて再婚同士の秀忠夫婦仲はどうだったのでしょうか?実は再来年の大河ドラマの主人公である正室お江の方には頭が上がらなかったようです。一説には気性の激しいお江の方が睨みを利かせていたため、側室を持つことが敵わなかったそうです。

そんな恐妻家の秀忠ですが、1度だけ過ちを犯しました。女中の静に手を出し妊娠させてしまいますが、妻怖さのため側室にはせず、生まれた子も認知せず面会すらしなかったということです。この子が後の4代将軍家綱の名補佐役となる会津宰相保科正之その人なのです。

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